上空1万メートル

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台北一人旅5 ~台湾総督府に行って思ったこと~

 

台湾総督府見学は、世界史オタの私にとって非常にテンションの上がるイベントでした。

 

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側面からの総督府。白のレンガの配置がおしゃれですよね。

 

この建物自体は1919年に完成しているのですが、その当時の台湾総督は、

明石元二郎です。

この方、どんな方か知っていますか、、?

実は、日露戦争時において、スウェーデンを拠点にロシア革命の支援工作を画策した人なのです。その様子が(史実に正確か論争があるものの)司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』で生々しく描かれています。(レーニンと接触した、など)

彼の活躍により、日本陸軍20万人の命が救われた(それだけロシア国内の政情不安を煽り、戦争早期終結に一役買った)という説もあります。

そんな活躍をした彼が、出世して、じゃあ次は台湾でも治めてきてくれや、、と言われ、台湾総督に抜擢された。。

これって、なんか会社の人事みたいじゃないですか!?笑

社会人になって、こういう歴史上事件を、人間の営みとして捉えられるようになったのが、学生時代との大きな変化です!笑 歴史を勉強するのがより一層面白くなりました。

ちなみに、歴代台湾総督といえば、桂太郎児玉源太郎乃木希典、と、有名人ばかりです。これらの人たちは、他の話が有名すぎて、台湾総督時代があったことはあまり知られていないんじゃないかなーと思います。(私が無知なだけかもですが)

 

で、明石さんは台湾総督時代にお亡くなりになってしまうのですが、

その次に台湾総督になったのは、初の文官出身、田健治郎さんという方です。

初の文官、という意味が分かりますかね。。つまり、明石さん以前は、全員

武官(軍隊出身)だったということです。

これはどういうことかというと、明石さんがお亡くなりになった1919年とは、1895年の日本の統治開始以来勃発していた抗日運動がひと段落し、経済の基礎を構築することで社会の安定を目指す政策に転換した節目の時代だった、ということです。

この後、映画『セデックバレ』で取り上げられた露社事件(1930)なども発生します。が、基本的にはこの1919年に、日本の統治のあり方が、武力で鎮圧から、政策重視へと大きく変わった節目の年なのではないかな~と思いました。

この時代の歴史は、調べれば調べるほど面白いです。

 

ちなみに、歴史映画、戦争映画も好きなのですが、グロ耐性がないので、

『セデックバレ』は全部観ることが出来ませんでした。最近やっと『プライベートライアン』を観ることが出来たレベルです。情けない。。世界史オタとして、克服したいウィークポイントであります。